【コラム】荒れない海の夢は何を意味する?落ち着いた水の夢に隠れた心のサイン

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海や水の夢が教えてくれた、わたし自身の「流れ」について

夢日記を書き続けていると、同じようなモチーフが何度も現れます。
わたしの場合、とくに多いのが 海や水に関する夢 でした。
そのイメージをひとつずつ思い返してみると、現実のわたしの状態や、心の奥の動きが少しだけ見えるようになってきた気がします。


荒れない海と、わたしの中の“静かな部分”

わたしの夢に出てくる海は、なぜかほとんど荒れません。
波は穏やかで、わたしはいつも波打ち際からそれを眺めたり、船から海の存在を感じたりしています。

現実では、仕事が慌ただしく、担当する業務もころころ変わります。
そのたびに「人に合わせる」性格が出てしまい、流されがちになってしまう・・・。
本当は落ち着きたいと思っているのに、余裕がなくなる日が多いです。

そんな中で、夢に出てくる静かな海は、
“本来のわたしはもっと落ち着いていられる”
という感覚を思い出させてくれているようでした。


水に流されたり、溺れそうになるのに苦しくない理由

たまに、夢の中で大きな水の流れに巻き込まれることがあります。
流される感覚はあるのに、なぜか苦しくはならない。
「溺れる」というより、ただ身を任せているだけ。

振り返ると、この場面にはいつも
“なんとかなるよ”
という気持ちがありました。

仕事で状況が急に変わったとき、現実では不安が大きくなります。
でも夢の中のわたしは、
状況の大きさよりも、流れにゆだねることを選んでいる。

これはもしかすると、普段のわたしが押し込めている「余裕」や「柔らかさ」が、夢ではそのまま表に出ているだけなのかもしれません。


夢の海には“大きな魚”がよく現れる

ときどき、巨大な魚がふっと姿を見せます。
追いかけられるわけでもなく、襲われるわけでもない。
ただそこにいて、存在感だけが大きい。

魚は一般的には直感や大事なテーマの象徴と言われますが、わたしにとっては
“今はまだ形になっていない何か”
のように感じました。

忙しさに押されて、考えたいのに考えられないこと。
やりたい気持ちはあるのに、できていないこと。
そういったものが夢の中で「魚」という形だけ与えられて、海の奥に潜んでいるのかな、と。


夢の中のわたしは、いつも落ち着いていた

面白いのは、現実で不安を抱えている時期ほど、夢の中のわたしは落ち着いているということ。
慌ただしさの中で「落ち着きたい」という願望があるから、夢の中でその状態を先取りしているのかもしれません。

夢の中では、成り行きを受け入れて
“流れが来たら乗ればいい”
という気持ちが自然に出てくる。
その感覚は、現実のわたしは忘れがちになってしまっています。


夢を通して、現実の選択の仕方が少し変わった

夢を何度も見るうちに、わたしの中で小さな変化がありました。

  • 嫌なことがあったとき
     →「夢の中のわたしならどうする?」と考えるようになった
  • 現実で焦りそうな場面
     →夢の海の“落ち着いた自分”を思い出せるようになった

夢は現実と別物だと思っていたけれど、意外と影響は大きかったです。


夢日記が教えてくれた“わたしの世界の地図”

夢日記を続けていると、何回も出てくる場所があることに気づきました。
海辺、建物、道。
気づけば、それらはわたしの夢の世界の「定番の場所」になっています。

そして面白いのは、
同じパターンの夢を見たとき、前回と違う選択ができるようになった
ということ。

夢の中で選び直せるという感覚は、現実にも少しずつ影響しています。

“同じような状況でも、毎回同じ反応をしなくていい”

夢日記は、そんな当たり前のようで忘れがちなことを思い出させてくれました。


海の夢は、わたしにとって「自分の流れを信じる」というテーマだった

振り返ってみれば、海や水の夢はいつも
“わたしが落ち着きを取り戻すための場所”
として現れていました。

荒れない海
苦しくない水の流れ
大きな魚
波打ち際の静けさ

それらは全部、
現実の慌ただしさの中で置いてきてしまった「わたし自身のペース」を、夢がそっと見せてくれていたのかもしれません。

これからも夢日記をつけながら、
あの海がどんな姿で現れるのか、
わたし自身がどんな選択をするのかを
ゆっくり見ていきたいと思っています。

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